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夢であるように何度も願ったよ
 暗い話&個人の記録につき隠し気味です。
 2010年1月20日、午前0時01分
祖母の死亡が確認された。
くも膜下出血で倒れてから丁度3ヶ月目の日だった。

2009年10月21日水曜日、午前7時ごろ
普段隣の部屋で寝ている祖母が私の部屋を訪ねてきた。
「みっちゃん。頭痛いの・・・」と。

すぐさま祖母を布団に寝かし、大丈夫?と聞いたら「救急車を呼んで」と祖母。
初めて119番に電話した。
母を起こし救急車を待って、到着した救急隊に状況の説明。
本人も意識がしっかりしていたので自分から病状の説明を行っていた。
救急車で運ばれると分かると否や祖母は「図書館の本返却期限が今月末だから返してきておいて」と。
2階に寝ていたので、救急隊の方がおんぶで階段を降ろそうとしたのにもかかわらず、本人は大丈夫と言い張って自分の足で救急車に乗った。
これが意識のある祖母を見た最後だった。

本人の意識がしっかりしている事から、そんなに酷い事には成らないだろうと思っていた。でも大事を取って会社は午前半休を取った。
救急車で祖母が運ばれて1時間半後、同乗していった母から大急ぎで病院に来るようにと。


大急ぎで病院に駆けつけると、母はパニックを起こしていた。
祖母の子である叔母2人も呼んで、先生から説明があるのでそれを待つのだという。
とても時間が長かった。

叔母が駆けつけてから担当医の先生から丁寧な説明があった。
祖母の脳内に大きな動脈瘤が3つあり、そのうちの1つが破裂し、くも膜下に出血がたまっている
本人の症状はとても軽いが、検査の結果、相当重度な状態である。
緊急手術の必要で、生存率は20%程度 手術成功後術後2週間が山場だという説明を受けた

詳細な検査と執刀医として経験のある人のつてがあり、予定をとるので、明日以降手術を行うと言われた。
その後祖母と会った。既に薬を打たれもうろうとしていた。

手術は成功に終わり、経過も良くあとは意識が戻るのを待つだけだった。
無意識に手足は動き、私が手を触っていると握り返してきた。でも意識が戻らなかった。
しかも、手術後、なぜか脳内で出血が起こり、複数回手術をくり返した。
脳内に血が長時間あるのは脳の活動を妨げるため、先生方は手を尽くして脳の出血を取ろうとした。
でも取っても取っても、手術が終わった2〜3日後、どこからともなく出血をしてしまう。
入院から1ヶ月後、体は弱り、手足は動かなくなり、自発呼吸も怪しくなり、人工呼吸器をつけどうにか生き延びているという感じであった。
先生は匙を投げ、積極的治療が行われなくなった。
11月下旬から12月の上旬は本当に明日とも知れずという日が続いた。

もしかしたら、祖母は目をさましはしなかったけれども、意識はあったのかもしれない。
12月8日、父の命日。前日に母が父の名前を口にしたら、突然心拍数が乱れたという。
しかしそれ以後、元気を取り戻しはじめ、12月下旬には呼吸器を外し一般病棟に移動した。

一般病棟に移動して2週間。呼吸器も外れ、流動食を胃に入れて、胃のトレーニングをしたりしていて、何かと回復に向かっていると思った。でも違った。少しずつ、少しずつ、弱っていっていた。
1月のある週の土曜日の夜、突然病院から呼び出された。
血圧が下がり過ぎているので危険だという。
回復に向かっていると信じていた私たちにはまさに寝耳に水であった。
普段の担当の医師は暫く会って居らず、そろそろ先生に経過を説明して貰おうかねーと言っていた矢先の話だった。
その日は担当の医師が居らず、当直医の先生が説明と治療の方針の確認を行った。
最初の手術の際、以前からの本人の希望で無駄な延命治療はしないという事を伝えてあった。
当直医の言うには、現在血圧が下がっているが昇圧剤を使わないというのだ。
回復に向かっている人が一時的に血圧が下がっているのに何故?という質問に対し
当直医は言いにくそうに、何度も言葉に詰まりながら、もう祖母の意識は戻ることは無いだろうから、無駄な延命治療に当たるという説明を行った。

その日は無事乗り越えることが出来た。翌日、担当医が休暇日にもかかわらず祖母のために朝から駆けつけ、昇圧剤を投与していた。
そして改めて説明をしてくれた。体が弱り、腎臓・肝臓があまり機能していないことを。

でもやっぱり信じられないと言うのもあった。結局そこからしばらく心拍数・呼吸・血圧・酸素吸収率が安定していた。
たまに目を開けた。焦点も合わず、瞳は濁っていて、きっと見えていなかったとも思うけれども、目を開けた。やっぱりもうダメだなんて信じられなかった。
今年は従妹が大学受験で、センターの結果で第一志望の合否が決まる。
それは絶対ダメと思っていたら、どうにかセンター試験の日は乗り越えた。
でもそれが限界だったんだね・・・

2月19日火曜日、夜11時半ごろ、うちの電話が鳴った。
急に血圧が下がり始めたので危険だからすぐ来てくれと。
病院まで20分で着いた。11時55分頃だったと思う。
でも、もう既に祖母の心臓は止まっていた。
母が言うにはその日の昼は何ともなく、むしろ調子が良い感じだったそうだ。
でも、夜11時20分頃突然心拍・血圧が下がり、すぅっと亡くなったそうだ。
心臓マッサージ、電気ショックは行わない事になっていた。本人に生きる力が無かったら諦めようという話し合いがあったから。もう苦しめたくなかったから。

まだ温かかった。
理解出来なかった。
でもどんどん冷たくなっていくのが分かった。

76歳と11ヶ月、早すぎる死だと思う。

あとで分かったことだが、1月19日は曾祖父、つまり祖母の父の命日だった。
書類上亡くなったのは1月20日だが、実際は19日だった。
曾祖父が正妻の一人娘であった祖母を呼んだのかも知れない。

「葬式慣れしちゃって、何かヤダね」と苦笑した従妹。
実際まだ実感が湧いていないから、ね。
もう後30年はお葬式はいいよ。と言った叔母。
本当にそれを望むよね。

優しくて、好奇心旺盛で、妙にハイテクで、結構ずぼらで、旅行好きで、ドジで、年寄り扱いされるのが大っきらいで、常にダイエッターで、無くし物上手の探し下手で、ロールキャベツが美味しくて、
誰からも愛された大ママ、安らかに。

一番上の孫として、大ママのことは伝えていくよ。
みゆな。 | 日記 | comments(1) | - |
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コメント
心からご冥福をお祈りします。
月並みなことだけど、そんなに愛されておばあちゃんは幸せだと思います。
元気出してね。
* あず@かおりゅ * 2010/02/13 11:29 AM
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